街道Web 雑談掲示板

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古地図 - のぶ

2024/02/12 (Mon) 18:47:32

上飯坂村 1869年(明治2年)
ピンボケ
右側が北

古地図 - のぶ

2024/02/12 (Mon) 18:45:40

上飯坂村 1729年(享保14年)

郡山市小原田の古地図について(休石) - こはらだ

2023/05/14 (Sun) 13:31:04

初めまして!
私、設計事務所のもので参考に郡山市の小原田のかつて水田があった頃の原風景や、近年の開発史について調べているものです。

国土理院地図や、今昔マップなどを見ても、昭和初期〜1940〜50年代、道路整理により姿を変えた頃の地図などがなく、先日図書館にも行ったのですが航空写真が小原田あたりのものがなく困っておりました。。

そこで、このウェブで「休石」という小原田ならではのすてきな話を見つけご連絡した次第です…!
休石を置かれた場所を、古地図を参考に旧地名の位置を確認したり、実家にある古い都市地図から探し出したりしたと拝見し、突然のお願いで大変恐縮なのですが、そのあたり管理人様が拝見していた地図についてお教えいただけると有り難いのです。
申し訳ございませんが、ご協力していただけますと幸いです…!

何卒よろしくお願いいたします。

旧国道4号線の踏切 高橋 寛

2021/11/26 (Fri) 11:04:38

管理人様、はじめまして。北海道のひろエモンと申します。
ところで、管理人様が2005年2月に作成された「旧国道4号線の踏切」の項目で、「第一奥州街道(一里坦)踏切の閉鎖年月」について須賀川市に問い合わせたところ、過去の市広報紙記事を手掛かりに「1975年10月15日で閉鎖されました」との返答でした。

今後ページのリニューアルがございましたら、ぜひ追記をお願いいたします。

冨岡街道の石橋について(3) あいざわ多聞

2021/10/07 (Thu) 19:04:58

大きい写真です。

冨岡街道の石橋について(2) あいざわ多聞

2021/10/07 (Thu) 19:02:54

橋の位置図です。

冨岡街道の石橋について(2) あいざわ多聞

2021/10/07 (Thu) 18:58:05

すみません。サイズ大きく送れませんでした。
再度お送りします。

冨岡街道の石橋について あいざわ多聞

2021/10/07 (Thu) 17:47:19

はじめまして!私、福島県の土木職員を務めているものですが、松川地区の方々や地元の歴史愛好家の方々とともに、めがね橋などの福島市周辺の石橋群の土木学会選奨土木遺産認定を目指した活動を行っております。
 さて本題ですが、TUKAさんが日本の廃道49号で取り上げられた明治期の富岡街道に、石橋があるのはご存知でしょうか?この橋の建設に関する情報を探しております。たいへん恐縮なお願いですが、廃道49号に記載のある冨岡街道の建設に関する情報の所在について、お教えいただけると有り難いのですが。私は、この橋も川俣の布野甚六の作品ではと睨んでおります。

雄子沢分校など - でぃ

2021/06/02 (Wed) 11:35:09

はじめまして。
福島には全くゆかりのない西日本の主婦なのですが、廃線、廃道大好きです。あ、でも、そちらで検索したわけではなく。
昨日、NHKのアーカイブスで新日本紀行(裏磐梯山)を放送しており、子どもの頃の空気感が同じでつい見入ってしまいました。
そして、検索でお邪魔させていただいたのがこちらなのですが、これまた、面白くゆっくり拝見させていただきます。
今回の放送を見られることがありましたら、多少は資料の一助になる?かもしれないと思い、放送がありました、ということだけ投稿させていただきます。雄子沢分校の話がメインでしたが、廃線の駅舎?シーン、線路を撤去するシーンなどもありました。
(病院の待合だったので、はっきりわからなかった部分もあります)
ご存知でしたらごめんなさい。

小野川 - HIRO

2020/04/14 (Tue) 02:35:13

小野川の旧集落は湖の中にもあり水が減ると昭和の初めころまでは集落跡に日用品などが散見できたそうです。
水位が上がり川の上流部の所だけ残ったようで、ひい爺さんの家とかも昔は水没は免れのちに現集落に移転その後は作業用に使ってたとのことです。
同じく残った中に16代ほどつづいた神社がありそこには周辺の出来事書き残した書き物があり
5代前の先祖が色をつかった風景画、地図のようなものを書き残してて親がたまに見せてもらったそうです。
その資料は、少なくとも40年以上前に廃神社になってるので風雨にさらされ散逸したか村か、神社本庁か今となっては解りませんが。
この神社の神主が旧集落最後の住人となったようです。
桧原中学校小野川分校は旧集落への山越えの道左側にあり
小野川家庭教育所はそこから南東側に道を挟んだ反対側にありました、爺さんが旧集落から空いた教育所に移転して家を建てるまで住んでいたそうで。藁ぶき屋根の家だったそうです。


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