街道Web 雑談掲示板

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冨岡街道の石橋について(3) あいざわ多聞

2021/10/07 (Thu) 19:04:58

大きい写真です。

冨岡街道の石橋について(2) あいざわ多聞

2021/10/07 (Thu) 19:02:54

橋の位置図です。

冨岡街道の石橋について(2) あいざわ多聞

2021/10/07 (Thu) 18:58:05

すみません。サイズ大きく送れませんでした。
再度お送りします。

冨岡街道の石橋について あいざわ多聞

2021/10/07 (Thu) 17:47:19

はじめまして!私、福島県の土木職員を務めているものですが、松川地区の方々や地元の歴史愛好家の方々とともに、めがね橋などの福島市周辺の石橋群の土木学会選奨土木遺産認定を目指した活動を行っております。
 さて本題ですが、TUKAさんが日本の廃道49号で取り上げられた明治期の富岡街道に、石橋があるのはご存知でしょうか?この橋の建設に関する情報を探しております。たいへん恐縮なお願いですが、廃道49号に記載のある冨岡街道の建設に関する情報の所在について、お教えいただけると有り難いのですが。私は、この橋も川俣の布野甚六の作品ではと睨んでおります。

雄子沢分校など - でぃ

2021/06/02 (Wed) 11:35:09

はじめまして。
福島には全くゆかりのない西日本の主婦なのですが、廃線、廃道大好きです。あ、でも、そちらで検索したわけではなく。
昨日、NHKのアーカイブスで新日本紀行(裏磐梯山)を放送しており、子どもの頃の空気感が同じでつい見入ってしまいました。
そして、検索でお邪魔させていただいたのがこちらなのですが、これまた、面白くゆっくり拝見させていただきます。
今回の放送を見られることがありましたら、多少は資料の一助になる?かもしれないと思い、放送がありました、ということだけ投稿させていただきます。雄子沢分校の話がメインでしたが、廃線の駅舎?シーン、線路を撤去するシーンなどもありました。
(病院の待合だったので、はっきりわからなかった部分もあります)
ご存知でしたらごめんなさい。

小野川 - HIRO

2020/04/14 (Tue) 02:35:13

小野川の旧集落は湖の中にもあり水が減ると昭和の初めころまでは集落跡に日用品などが散見できたそうです。
水位が上がり川の上流部の所だけ残ったようで、ひい爺さんの家とかも昔は水没は免れのちに現集落に移転その後は作業用に使ってたとのことです。
同じく残った中に16代ほどつづいた神社がありそこには周辺の出来事書き残した書き物があり
5代前の先祖が色をつかった風景画、地図のようなものを書き残してて親がたまに見せてもらったそうです。
その資料は、少なくとも40年以上前に廃神社になってるので風雨にさらされ散逸したか村か、神社本庁か今となっては解りませんが。
この神社の神主が旧集落最後の住人となったようです。
桧原中学校小野川分校は旧集落への山越えの道左側にあり
小野川家庭教育所はそこから南東側に道を挟んだ反対側にありました、爺さんが旧集落から空いた教育所に移転して家を建てるまで住んでいたそうで。藁ぶき屋根の家だったそうです。

林用軌道・軽便鉄道 多摩の浪人・武井敦

2019/12/31 (Tue) 21:34:43

多摩の浪人・武井敦です。

TUKAさんの廃線webを拝読させて頂き、サークルの仲間と若干の資料を片手に、ワイワイ、ガヤガヤと廃線軌道跡を探して、藪の中を駆けずり回ったことを懐かしく思い出しています。

東京・多摩地域では、多摩湖(村山貯水池)、狭山湖(山口貯水池)をつくる際に、多摩川から砂利を運んだ「羽村・山口軽便鉄道」が知られています。遺跡や資料も多く残っています。

福島・浜通り地域では、「森林鉄道」あるいは「林用軌道」と呼ばれた交通機関が、ほとんどの村に敷かれていました。
これはおもに国家に供出するための木炭や木材を、旧国鉄の駅まで運び出す手段として利用されたと思われます。ここから東京まで運ばれたのではないでしょうか。

以前、資料としてまとめておいたものの幾つかを、参考までに添付します。

林用軌道・軽便鉄道 多摩の浪人・武井敦

2019/12/31 (Tue) 21:43:53

webに投稿されたマニアの方のものを参考にさせて頂きました。

林用軌道・軽便鉄道 多摩の浪人・武井敦

2019/12/31 (Tue) 21:49:49

「大野林用軌道」の敷設跡です。

林用軌道・軽便鉄道 多摩の浪人・武井敦

2019/12/31 (Tue) 21:56:35

イメージ図です。

林用軌道・軽便鉄道 多摩の浪人・武井敦

2019/12/31 (Tue) 22:06:30

shige(しげ)さんのコメントです。全く同感です。

この地域は2011年の原子力災害のため、現在も立入りが困難です。

東京陸軍少年飛行兵学校 多摩の浪人・武井敦

2019/12/31 (Tue) 18:45:47

「東京陸軍少年飛行兵学校」概略です。

東京陸軍少年飛行兵学校 多摩の浪人・武井敦

2019/12/31 (Tue) 19:16:39

画像の文字が読み難いですが、
旧陸軍だけでこれだけの「陸軍少年飛行兵学校」の基本校、上級校、分教場・教育隊・飛行場が、日本各地にありました。分布図に記載されていない飛行場もまだまだあります。
TUKAさんの記事にある「陸軍磐城飛行場」はこの分布図にはありません。存在は分かっていましたが、詳細が不明でした。大いに参考になりました。
ちなみに、旧海軍には「海軍飛行予科練習生」が少年飛行兵の教育機関としてありました。茨城・霞ヶ浦の「予科練」が良く知られています。

東京陸軍少年飛行兵学校 多摩の浪人・武井敦

2019/12/31 (Tue) 19:46:47

生徒の訓練風景です。午前中は座学が中心、午後は操縦に必要な基礎体力を養う訓練が行われたようです。
陸軍少年飛行兵学校の卒業生は東京・大津・大分の「基本校」3校を合わせると約46,000名ですが、その内の一割弱の約4,500名が戦死しています。
さらに、戦死者のうちの約500名が、特攻隊として命を落としたそうです。

東京陸軍少年飛行兵学校 多摩の浪人・武井敦

2019/12/31 (Tue) 17:49:01

はじめまして、東京の多摩地域の歴史について調べている「多摩の浪人・武井敦」といいます。
旧日本軍の飛行場について、TUKAさんの記事を拝見し、旧陸軍飛行兵学校の上級校である「陸軍宇都宮飛行学校」の分教場の様子が分かりました。感謝、感謝です。
添付の写真は陸軍飛行兵学校の基本校の一つである、かつての「東京陸軍少年飛行兵学校」の正門です。
少年飛行兵学校の基本校は三つあり、「東京」、「大津」、「大分」にありました。基本校で1年基礎を学んだ後に上級校で2年飛行訓練を行い、卒業後に各地の飛行場に配置になりました。
東京陸軍飛行兵学校の上級校は「宇都宮陸軍飛行学校」と「熊谷陸軍飛行学校」の二校です。

暫く - あきら@大阪

2018/05/31 (Thu) 23:28:29

長らく放置されてんなここ・w・

Re: 暫く - TUKA@管理人

2018/07/06 (Fri) 10:34:41

誰も書き込まないですからねえ・・・。
「新規書き込みがあったらメールで連絡」、なんて機能があれば便利ですが、
スパムの度に呼び出されるのもイヤだし。


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